スフィンクスさんが相手からインテリされない理由

インテリというのは「陰照り」とも書き

太陽が照らす対象の陰のような存在の意をもっている

そういう意味では

 

私は太陽のような存在であり

いつも明るく元気いっぱいなため

「陽照り」と言った方が正しいと言えるため

インテリとは対照的な存在なのであるが

 

ところでヨーテリーというポケモンがいて

ブラック/ホワイトが初出だと思うが

初代で言うところのコラッタ枠で

進化したらハーデリアムーランドになる

 

アンチを育てるのも

一つの才能であるらしく

私のようにみんなの太陽であるような存在には

難易度が高いように思われるが

 

古代哲学でイデアは太陽の比喩が用いられており

古代ギリシア世界では太陽はどういう存在だったのか

確かに気にならんでもないなと思いつつ

なぜ月ではダメだったのだろうと思う今日この頃

 

月の裏側は狂気を象徴していると言われ

誰も見ることのない側だと

だが狂気というのは果たしていつも隠されているのだろうか

我々が常識的に日常を送っているこの当たり前こそが

一種の狂気ではないだろうかとたまに思う

 

すべては変化するものであるのだから

恒常的であるということこそ異常なのではないか

流れと漂いの中で彷徨っているのが

人間の あるいは存在のあり方ではないかと

ふらふらしながら思う

 

漂流者としてのあり方

そんな掴み所のない私は

 

インテリには相手にされない

 

 

以上

それでもしぶとく続ければ価値じゃね?

他人に認められなくてもいい

すぐに成功してなくたっていい

 

ただダラダラとでもいいから

粘り強く続けることが大事なんだなと

最近は思う

 

 

納豆のようにねばねば

ご飯にかけて食えばうまい

 

大阪人は納豆が食えないと聞く

確かに納豆は食い物ではないと豪語する大阪人もいた

 

でも僕は幼少時代

家にお金がなくて

一回の食事に 丼いっぱいのご飯に

納豆だけという時期を過ごしたことがあるから

納豆を食わざるを得なかった時期がある

 

そんな時期を乗り越えてきた僕だから

多少の貧乏生活には耐えられるのだが

世の中の人間は皆セレブな生活に憧れるらしく

やはり高くてもおいしいお店を知っている人は人気だしモテる

 

僕みたいに滅多に外食はせず

おいしい店を知らない奴はつまらない奴だと思われるし

誰にも誘われない

 

誰にも誘われないから友達もいないし

人付き合いも滅多にしない

 

そんな生活を送ってきたものだから

他人との約束事なんて根本的に大したことはないと思ってしまうし

すっぽかしても1ミリの罪悪感もない

 

最近はやっと大人になったので

せめてドタキャンする時は直前に連絡するぐらいにはなったが

大体その場で考えた理由ばかりで

基本的に僕の気が乗らなかったら

外に出たくない 人と関わりたくないという気持ちになる

 

社会生活は僕には難しい

人と関わらずに

最低限生存できるだけの額が毎月振り込まれて

生活ができたらどんなにいいかと思う

 

とにかくすべてがめんどくさい

お前らの存在がめんどくさい

 

 

勝手に生きてろよ

好きだった給食のメニュー

僕は給食食べれない子供だったけれども

ある日から食べられるようになった

 

何が好きだったかは覚えていないが

鰻がごく稀に出たときに鰻は好きだったから

鰻が嫌いな人の鰻をもらってた記憶がある

 

そんな鰻ももう食えなくなる日が来るのかと思うと

僕は寂しい

 

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哲学バスター

哲学論文を学会論集などに投稿してない者が哲学研究者と呼ばれるべきではないという話があった。

なるほど(俗にいう)哲学者と哲学研究者の線引きは必要だろう。

大学という場所は権威を保存し再生産し続けなければそもそも存続すら危ういのだから

大学の研究従事者に一定の権威を与えておくことは重要だ。

 

しかし「哲学者」という呼称が 哲学という長い歴史を持つ学問が

在野/大学人という二元性を引き出しているのだとしたら

それをぶっ壊すためにそもそも哲学をぶっ壊さなければならないのではないか

 

私は哲学を滅ぼすことに決めた

哲学を解体し すべてを無に帰したところから

新たに始めるというのはどうだろうか

 

私はそう決意し

哲学バスターを名乗ることにした

 

まずは哲学という学問に特徴的な性質を暴き出し

それを根底から破壊する

そういう仕事に従事することにしよう

 

とりあえず木田元の『反哲学』を読みます

 

 

 

4650万円振り込まれたとしたら

仮に4650万円振り込まれたとして

それを全額オックスファムとかユニセフに募金したとしたら

貧者にすべて寄付されるとしたら

倫理的には許されるのか

 

さあ みんなで 考えよう!

サボタージュしたいこと

今週のお題「サボりたいこと」

 

連休明けだからサボりたいと考える人は、

連休とは関係なくサボりたいと常々考える人

 

真に仕事人間は

連休中でも仕事のことしか考えられず

仕事のことを考えていなかったら

悶絶してしまうタイプの人間だ

 

仕事とは贅沢な気晴らしだ

人生とは退屈なものだが

退屈な人生にとって最高の暇つぶしで

そんな暇つぶしによって

自分の利益になるだけでなく

公共の利益にもなっている

 

仕事というのは何とも

不思議なものだ

なぜ仕事はみんなを幸せにするようにできているのだろう

 

過程では確かに苦しいのが仕事だが

結果では明らかに楽しいのも仕事

 

僕たちは仕事を愛している

 

でも暇があれば

哲学がしたい

 

それが僕たちの

スコラだから