話していていつも主語が大きくなる人がいる
自分のつらさ 苦しみを過度に一般化しようとするのだ
会社で上司に怒られて不快な思いをした
そうすると 次のように言いだす
「日本は縦社会だ」と
なぜ怒られたのかは考えない
ただ社会構造の問題だと思うのだ
面倒な飲み会に誘われた
それだけで言うのだ
「日本は和を大事にするからな」と
たった一度の飲み会に対してだ
家族がいるからと断ればいい
金がないからと断ればいい
ただそれだけの飲み会で だ
電車の中でお年寄りに席を譲らない若者がたまたまいたとしよう
そうすると言うのだ
「最近の若者は年長者に敬意がない」と
主語の範囲を大きいところにしようと思えばいくらだってできる
だって私たちの想像力は無限大だから
宇宙中にだって広げることができる
そう
森羅万象 そうなのだと
あたかも宇宙の真理であるかのように
語ることだってできる
腹は減る それは宇宙の意思だから
眠くなる だってそれは宇宙の意思だから
性欲が湧く 大いなる存在者がそう望んでいるのだ
逆に ミクロな部分に目を向けるのはかえって難しい
きめ細やかなところに注意を向けるのは 難しい
主語を大きくしない
個別的なものを ちゃんと個別的なものとして捉える
そういう繊細さをもつ方が
大事なんじゃないのかな?
たとえ世界が滅びようとしても
目の前にいる一人の人を大切にできれば
それでいいじゃないか