最近、某ブロガー氏のお書きになったキャンセルカルチャーについてのブログを読んだ。
一つの発言、否、失言でキャンセルさせられてしまう。それは怖い。
でもそれ以上に、キャンセルさせられて再起不能になってしまう、その方が、いや、それだからこそ怖いと思ってしまう。
やり直しが効かないからこそ、キャンセルを恐れなければならないし、正しいこと、正しいとされていることしか言えなくなる。
最近のリベラルを自称する人たちは、権力と戦っているつもりになっているように見えて、まるで「警察」のつもりでいるかのように異端を叩く。
少しでも問題があると思ったら完膚なきまでに、再起不能になるまで叩く。
きっと気持ちいいのだろう。快感が得られるのだろうな。マスターベーションよりも気持ちいいのか?ドラッグよりも...??
ぼくは自分では保守ではないと思っているが、多くの人が自称するリベラルと言えるから怪しい。彼らは徴兵制を賛成する女性研究者を叩くが、リベラルの立場から徴兵制を賛成する某法哲学者は叩くんだろうか?叩かないのか?
女性だから叩くのか?リベラルが理想とする、かくあるべしと思う女性像に則っていなければ叩くのか?そんなもんなのか?
人生をキャンセルしろと言うのか
やり直しを保証できるのか?
できないのに無責任に叩くのか?
叩き潰せばそれで済むのか?
好きにしろよ
俺は降りるけどな