加藤典洋『人類が永遠に続くのではないとしたら』序を読む 下書き供養シリーズ②

今週のお題「下書き供養」

 

先日、亡くなられた加藤典洋さんのご著作ですが、

『人類が永遠に続くのではないとしたら』を読書して、つらつらと箇条書き的に雑感を述べていこうと思います。いつまで続くかわかりませんシリーズですが、まあやってみます。

www.shinchosha.co.jp

 

序 モンスターと穴ぼこ

 

・未来の空白が見えてきた話

柄谷行人は1989年ベルリンの壁崩壊とともに共産主義思想を担っていた体制が事実上消えた時、「逆説的に彼らに依存していたこと」に気づいて未来の構想を始めた話がある。

 

・無-責任の世界

著者は、福島第一原発事故を機に現れた道の事態を、「とることのできない」規模の「責任」が私たちの前に現れたと取る。

過失と責任の一対一対応の関節が外れている:人は何かを犯したとき、それに「見合う」代償=負債を「弁済」する。これを人は「代価を支払った」=「責任をとった」と見なす。これがないと社会の紐帯が緩み、ほつれてしまう。

では、過失と責任の関節が外れればどうなるか。 

 

 

 

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途中まで書きかけましたが、

正直書評というジャンルに興味を持ってなかったので

途中で投げ出したというのがあります。

あと加藤典洋も先生づてに知ってたというだけで

読んだ方がいいのかなあという緩い義務感で読んで書いたものですが、

琴線に触れてないのがよくわかりますね。