インテリというのは「陰照り」とも書き
太陽が照らす対象の陰のような存在の意をもっている
そういう意味では
私は太陽のような存在であり
いつも明るく元気いっぱいなため
「陽照り」と言った方が正しいと言えるため
インテリとは対照的な存在なのであるが
ブラック/ホワイトが初出だと思うが
初代で言うところのコラッタ枠で
アンチを育てるのも
一つの才能であるらしく
私のようにみんなの太陽であるような存在には
難易度が高いように思われるが
古代哲学でイデアは太陽の比喩が用いられており
古代ギリシア世界では太陽はどういう存在だったのか
確かに気にならんでもないなと思いつつ
なぜ月ではダメだったのだろうと思う今日この頃
月の裏側は狂気を象徴していると言われ
誰も見ることのない側だと
だが狂気というのは果たしていつも隠されているのだろうか
我々が常識的に日常を送っているこの当たり前こそが
一種の狂気ではないだろうかとたまに思う
すべては変化するものであるのだから
恒常的であるということこそ異常なのではないか
流れと漂いの中で彷徨っているのが
人間の あるいは存在のあり方ではないかと
ふらふらしながら思う
漂流者としてのあり方
そんな掴み所のない私は
インテリには相手にされない
以上