41歳のところで重厚長大な倫理学書を書いて出す

という野心があるわけだが

なぜ41歳かというと西田幾多郎が『善の研究』を出したのがその歳だから。

 

今その参考にD.パーフィット『重要なことについて(原題:On What Matters)』を読んでいる。

 

まず気にしたのがこの箇所だ。

シジウィックは自らの単調な大著『倫理学の方法』をいかにして書くに至ったかを述べる際、自分はカントとミルという「二人の師」を持っていたと言う。私の二人の師はシジウィックとカントだ。(パーフィット『重要なことについて』p. xvii)

いわゆる「功利と直観」を象徴する二人の哲学者を師としてあげるということですな。

絶対カントが入るのか。僕が書く場合、ヘーゲルじゃダメですかね?

ヘーゲルだとあともう一人どうしようかってなりますが。

とりあえず、ブランダム、マクダウェルあたりを漁ったうえで、

そこに対抗できそうなもう一人の師にふさわしそうな人を挙げるべきか。

 

で、なんやかんやあって本書の要約まで全部読んでみたわけですが、

例のアレですね、カント(的構成?)主義、契約主義、(規則)帰結主義が一致するっっていう話ですね。カント的契約主義とかカント的規則帰結主義ってなんですか。

 

僕も規範理論の統一理論を作りたいな。

ただ統一する方向でいいのか?

よくわからん。

 

少なくとも41歳如きでこのレベルの重厚長大な本を書ける気は

まったくしない。