行為者相対性と義務論:トマス・ネーゲルを読むなど

今なぜか図書館に入ったStephen DarwallのDeontologyを読んでて

まあ私は規範理論上では義務論者なのでこれは読まないかんなと思って読んでいるところでした。

 

今日行き着いたのが

トマス・ネーゲルの「行為者相対性と義務論'Agent-Relativity and Deontology'」と題された論考なのですが、

下部を見たら『どこでもないところからの眺め』に入ってる論考で、

怠惰な私はそうだ日本語訳を読もう!というところでペラペラめくると

ちょうど「第9章 倫理」にあたる章がそこなんですね。

なので読んでみました。

 

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Ⅰ.三種類の行為者相対性

ということでまずは例の有名な

・行為者の相対的価値、行為者の中立的価値(agent-relative/agent-neutralの区別)の区別を中心に見ていくらしいです。

 

・倫理の重要な構成要素として、非個人的で帰結主義的な面があるとのこと

 倫理は〈なにが起こるべきか〉にかかわるだけでなく、

 〈人はなにをおこなうべきか〉、〈おこなってよいのか〉も問題にする。

 〈なにが起こるべきか〉は中立的根拠によるけど

 相対的な根拠は後者〈おこなうべきか〉〈おこなってよいのか〉に影響を与える。

 

・哲学の議論では、中立的根拠と非個人的価値の覇権が相対的な形式をもつ三つの広範な根拠の種類から挑戦されるのが普通だそう。

 ①自律的根拠:個々人の欲求や計画、社会や他人とのかかわりから出てくるもの

 ②義務論的根拠:自分自身が他人に害を与えるべきでないという相対的根拠

 ③責務的根拠:特別な関係(親子、配偶者、共同体や国など)に依存する特別な責務

 

・以上三種類の根拠(+中立的根拠)によって通俗道徳のほとんどの領域が網羅されるが、常識はこれらが重大な内的葛藤を生むかもしれないことを示唆。吟味しよう。

 

・これら三種の非個人的倫理にとって例外に見えるものを規範功利主義や動機功利主義といった帰結主義の発展を利用した、より複雑な日個人的体系の中に位置づけようという試みがなされなかったわけではない。

例.ヘア『道徳的に考えることMoral Thinking』、スキャンロン「権利、目標、公正さRights, Goals, and Fairness」など

ネーゲルは、例外がいかにして中立的なものから独立して理解できるかの代案を示したい。特に自律と義務論にかんしてとりわけ顕著なのでこの二つに集中する。

どの説明の背後にも、客観的立場から価値を認められるもの、より客観的でない立場から価値があると客観的な立場からみなせるものとの不一致があるそう。

 

以下、Ⅱ.自律的根拠の話では個人の選好と客観的な価値の関係とか、Ⅳ.義務論の話、Ⅴ.行為者と犠牲者でトロッコ問題のネーゲル的な扱い方とか色々書いてておもしろいので、興味ある人は読んでみたらいいんじゃないでしょうか。

ちなみに

Agent-RelativeとAgent-Neutralの区別について勉強したい人は

Stanford Encyclopedia of Philosophyの該当項目を読めばいいんじゃないでしょうか。

plato.stanford.edu

 

これ書いたのはMichael Ridge先生というハイブリッド表出主義とかいってる現代倫理学者さんですね。エディンバラの教員だったかと思います。

 

 

こういうのとか書いてるみたいです。

僕も持ってますが、全然読めてません(キリッ