不在のものへの誘い〜既知のものから未知のものへ〜

我々は物事を把握するとき、

感覚的にそうするか、

理性的にそうするかを議論する。

 

どちらでも構わないが、

我々が知りたいのは、すでに見慣れ知っているものではなく、

そうしたものから未知のもの、不在のもの、未だ到来していないものである。

知っているものから 知らないものへと想いを馳せるのである。

 

想像力に誘われて 我々そんな期待を抱く。

ただ空虚なものを思い浮かべるだけではない。

未知のものへと飛躍するのである

 

その飛躍こそ 意志となり

我々が未だ現実として捉えられていない事柄を

生起させる

 

そのように未来に投げかけることこそ

人間に許された力なのであり 可能性なのである

楽しい2019年

2019年を振り返ろうと思う

一言で言うと愛に満ち溢れていた2019年だったと思う

 

いつも隣にいてくれたから

楽しい一年が過ごせたんだと思う

 

春も 夏も 秋も そして冬も

一緒にいたのですよ

 

お泊まりしたり

パンケーキ食べたり

映画に行ったり

温泉に行ったり

水族館に行ったり

美術館に行ったり

 

いろんなことをしました

 

本当に楽しかったのです

 

 

これからも一緒に入られますように

レリゴーの2作目のやつ

アナと雪の女王IIを観ました。

 

Iはちゃんと観てませんが

それでもキャラ造形をなんとなく知ってるだけで

十分楽しめました

 

世間的には二作目はコケるっていう話も聞きますが

この二作目はかなりいいんじゃないかと思いましたね

 

子供たちにウケる部分も多くて

楽しんでみることができました

 

なお

よかったとか楽しめたとか

ネタバレを徹底的に排除する書き方をすると

どうしても価値評価語を並べる文章になりがちなのは

私の語彙力不足によるものでしょうか?

 

まあ

なんでもいいんだよ〜いいんだよ〜と言ってしまうスタンスは

コウペンちゃんの影響もありまして

とにかくなんでも受け入れる姿勢ができてしまってますね

 

だから仮に明日突然彼女が氷属性の魔法が使えるようになったとしても

いいんだよ〜、と受け入れるでしょう

ありのままでいいんだよ〜、と

 

いんとぅじあんのうん

いいんだよ〜

やみのなかでいきる

日常生活を送っていると

どうしても自分の中に御しきれない感情が湧き出してくることがある

それはどんな手綱をもってしても制御しきれないのだ

 

 

私の中にはカオスが渦巻いている

 

この世界が私を受け入れづらいのは

私の中にあるカオスを受け入れられないからだろう

 

混沌より生まれし我が魂は

いずれ無に帰ることを欲することだろう

相談したら答えをくれる人よりも答えを引き出させてくれる人の方がいい

自然科学では法則に則っているかどうかが問題になるのであって

事実かそうでないかに応じて正解が決まるかもしれない

数学の問題なんかは公式通りに解けるかどうかだろう

 

だけど人生の問題は違う

それぞれの答えはそれぞれにある

答えはいたって個別的なものだ

 

だから他人に人生相談をした時

こうしたらいいああしたらいいと答えをくれる人よりも

自分の中にある答えを引き出させてくれる人の方がいいと

 

多分そういうことなのだろう

 

何が正しいのか

正しさの個別性

 

追求しよう