哲学バスター

哲学論文を学会論集などに投稿してない者が哲学研究者と呼ばれるべきではないという話があった。

なるほど(俗にいう)哲学者と哲学研究者の線引きは必要だろう。

大学という場所は権威を保存し再生産し続けなければそもそも存続すら危ういのだから

大学の研究従事者に一定の権威を与えておくことは重要だ。

 

しかし「哲学者」という呼称が 哲学という長い歴史を持つ学問が

在野/大学人という二元性を引き出しているのだとしたら

それをぶっ壊すためにそもそも哲学をぶっ壊さなければならないのではないか

 

私は哲学を滅ぼすことに決めた

哲学を解体し すべてを無に帰したところから

新たに始めるというのはどうだろうか

 

私はそう決意し

哲学バスターを名乗ることにした

 

まずは哲学という学問に特徴的な性質を暴き出し

それを根底から破壊する

そういう仕事に従事することにしよう

 

とりあえず木田元の『反哲学』を読みます

 

 

 

サボタージュしたいこと

今週のお題「サボりたいこと」

 

連休明けだからサボりたいと考える人は、

連休とは関係なくサボりたいと常々考える人

 

真に仕事人間は

連休中でも仕事のことしか考えられず

仕事のことを考えていなかったら

悶絶してしまうタイプの人間だ

 

仕事とは贅沢な気晴らしだ

人生とは退屈なものだが

退屈な人生にとって最高の暇つぶしで

そんな暇つぶしによって

自分の利益になるだけでなく

公共の利益にもなっている

 

仕事というのは何とも

不思議なものだ

なぜ仕事はみんなを幸せにするようにできているのだろう

 

過程では確かに苦しいのが仕事だが

結果では明らかに楽しいのも仕事

 

僕たちは仕事を愛している

 

でも暇があれば

哲学がしたい

 

それが僕たちの

スコラだから

うにゃむにゃなれども

こんばんは、スフィンクスさんです。うにゃむにゃ

 

うにゃむにゃする人 しない人

色々いると思いますが

みんな呼吸をするように何かを考えていると思います。

 

何かを考えるということはどういうことか。

考えることは考える主体を前提にするのか。

それとも考えるという働きだけが流れていくだけなのか。

そもそも考えるということがなくて

意識の流れが受動的にムービーのように流れていくだけなのか。

 

考えることには自発性があるのかどうか。

意識的に考えるということが起きるのか。

僕らは考えようと思って考えるのか、

それとも何か知覚したことに対する反応として

考えるということが起こるのか

だとすると光学の法則のように

考えることが光の反射として起こるのか

 

何にせよ

僕は僕をさせられていて

君たちはそんな僕を

思考の表現の一側面でしか見ていないということなんだな

充電期間をするスフィンクスさん

何かいろいろ落ち着きまして、

ゆったり休みつつインターネットから離れつつ

自己と向き合い、積読本を消化して自分の思想を深めていきたいと思いますので、

しばらくはSNSなどの類はお休みにします。

 

 

新年度に再会できたらまたよろしくね!